日記2.国際法と国内法(6/20)

試験勉強もかねて『講義国際法有斐閣pp105-132などを読んでいた。

 

岩沢国際法(執筆中?)では、「国際法と国内法の関係」は第3部「国際法の機能」に入るようで、今年度の授業ではこの分野は一部ではなく二部で扱われることになっていた。一元論や二元論といった論理的関係についての議論から、国際法の定義や性質に関わるとして総論に含ませるのではなく、特に国際法の国内法における実現という面に焦点を当てたことによるものなのだろう。個人的にも前者の議論にはあまり面白みがないというは共感する。(ただ気になるものとして、寺谷広司「『調整理論』再考」2015)

 

ドイツの議論として、承認法によって条約が国内法に変形されるという「変型Transformation理論」と、あくまで承認法は条約が国内で実施されることを命じるにすぎず、条約が国際法としての性質を保持するとする「採用Adoption理論」bzw.「実施Vollzug理論」という議論上の二項対立が紹介されていたが、Glaserが言及していたHarmonisierung als Überformung des nationalen Rechts (国内法の変形としての調和)はどうとらえればいいだろうかと考えていた。とりあえずは表面的な語義に沿って、条約の国内法への変型Transformationと、条約による国内法の変形Überformungと理解してみたが、どうなのだろうか。どうもすっきりしないので、これは頭に留めておいて、また後日考えることにする。

日記1.IVR(6/19)

Markus Glaser „Internationales Sozialverwaltungsrecht“ 

今日はC. Determinationsrecht als Rechtskreis des Internationalen Sozialverwaltungsrechts(pp78-92)を読んだ。

二国間の社会保障協定を主な対象としたⅡ節の記述が厚く、例えば、原田大樹「第六章 グローバル社会保障法?」『行政法学と主要参照領域』pp185-212と比べても、ILO社会権規約を引き合いに論じる社会保障の国際的基準についての記述が薄いように思う。これは、議論の対象を各国の具体的な行政の活動のみに限定し、社会保障上のシステムや国際的なルール設計については論じないというGlaserの態度の現れなのだろう。つまり、本論文で問題となりうるとすれば、例えばArt.6 EMRKが社会保険における請求権と義務をどのように決定付けるかというように、あくまでそのinternationale Sozialstandardsが持ちうるDeterminationswirkungに限られることとなる。

 

Ⅱ節についてはまた改めて書こうと思う。

そもそも国際法のなかの行政法という思考の意義がいまだに納得しきれない部分が残るのだが…山本草二の『国際行政法の存立基盤』あたりを読めばいいのだろうか。

 

授業では形容詞の訳で困った。Die Determinationswirkung menschenrechtlicher Sozialstandardsを「人権上の~」と訳すとそれなりにわかった気になるが、いざ説明を求められると困る。もう「人権に基礎づけられる~」くらいの訳がふさわしいとの結論になった。ドイツ語はそれなりに日本語に訳せてしまう部分があるので、理解していないことに気付かず進んでしまうことも多そうである。気を付けたい。

そう、aktuellをaktualと見間違えて、相当悩んだ。

読書日記はじめ

twitterなどで自分の読書について語ることは、どうも見栄に振り回されるような気がして敬遠していたのだが、今日を機に、一種の日記を始めることにした。

 

日本のカルチュアは、われわれの社会行動が「演技性」にとぼしいこと、それだけでなく、演技的行動の中にそれ自体「まごころ」ならぬ不純な精神をかぎつける傾向がある*1

自分に限って言えば、こと勉学においては、他人が自らを演出しているのをみると、つまり、着飾っているのをみると、どうも不純さを感じてしまうような傾向があるように思う。しかし、みずからの自然にただ流されて生きることを善しとしないならば、理想と現実の齟齬のうえに、着飾ることが必要になるのだろう。

 

当然だという人がいるかもしれないが、そんなことを、福田恆存に偽善を暴露された*2丸山の言い訳から、あるいは苅部直の読み上げる庄司薫から*3、考えていた。

 

 

 

 

 

 

*1:丸山眞男「偽善のすすめ」『丸山眞男集 9巻』p327

*2:福田恆存「知識人の政治的言動」『福田恒存評論集 第8巻』

*3:これは昨日の夜、眠れないまま聞いた6月11日放送の放送大学講義、政治学へのいざない第10回、苅部直「政治的リアリズム」を指している。いってしまえばなんともない話なのかもしれないが、深夜ということもあり感傷的な受け取り方をしてしまった。