読書日記はじめ

twitterなどで自分の読書について語ることは、どうも見栄に振り回されるような気がして敬遠していたのだが、今日を機に、一種の日記を始めることにした。

 

日本のカルチュアは、われわれの社会行動が「演技性」にとぼしいこと、それだけでなく、演技的行動の中にそれ自体「まごころ」ならぬ不純な精神をかぎつける傾向がある*1

自分に限って言えば、こと勉学においては、他人が自らを演出しているのをみると、つまり、着飾っているのをみると、どうも不純さを感じてしまうような傾向があるように思う。しかし、みずからの自然にただ流されて生きることを善しとしないならば、理想と現実の齟齬のうえに、着飾ることが必要になるのだろう。

 

当然だという人がいるかもしれないが、そんなことを、福田恆存に偽善を暴露された*2丸山の言い訳から、あるいは苅部直の読み上げる庄司薫から*3、考えていた。

 

 

 

 

 

 

*1:丸山眞男「偽善のすすめ」『丸山眞男集 9巻』p327

*2:福田恆存「知識人の政治的言動」『福田恒存評論集 第8巻』

*3:これは昨日の夜、眠れないまま聞いた6月11日放送の放送大学講義、政治学へのいざない第10回、苅部直「政治的リアリズム」を指している。いってしまえばなんともない話なのかもしれないが、深夜ということもあり感傷的な受け取り方をしてしまった。